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結節性硬化症の情報サイト

「プラスにならない経験はないと思うので、これからもいろいろな経験をしていきたい」

  • Tさん/4歳で診断され、現在19歳(2022年11月時点)
  • ご本人へのインタビュー

◆薬を飲み始めた頃

最初は地元の小児科に行き、そこから紹介された大きな病院に行きました。今にして思えば、心配性な母にとっては大変な事だったと思いますが、自分自身は病名を知らされる訳ではなく、病気について、自分はそんなに大きな事だと感じてはいませんでした。通院は2ヵ月に1回くらいで、そんなに多いという感覚でもなかったです。
薬を飲み始めたのは、4歳か5歳くらいのとき。薬を飲むことに特に苦労とか特別な思い出はなく、今でも朝晩2回飲んでいるので、習慣の中で自分にとっては普通の事になっています。
母に後から、ときどき飲むのを嫌がっていたこともあったと聞きましたが、自分はそこまで覚えていないというのが正直なところです。

◆野球に打ち込んだ少年時代

外で遊ぶのが好きで、子供のころはいつも外を駆け回っていました。野球は幼稚園のときから大好きで、小学校では地元のクラブに入って、野球漬けの日々でした。ポジションは監督に勧められたファースト。バッテリーの次に球が飛んでくる大変なポジションですが、自分でも気に入っていました。野球は中学まで続けました。中学では外野を守ったりもしましたが、中2のときに急に目が悪くなり、球が見えなくなったので、ファーストに戻してもらいました。目が悪くなったのは、勉強のし過ぎではなく、ゲームのやり過ぎかもしれません。

◆ショックな出来事

そんな風に楽しく毎日を過ごしていましたが、一つ、忘れられないショックな出来事がありました。あるとき、小学校の時に学校に泊まるという行事があったときに、自分だけなぜか泊まらせてもらえませんでした。夕食の後に迎えに来た母に連れられて家に帰りました。その当時はてんかん発作があったりしたからだと思いますが、どうして僕だけ帰らないといけないの?と、すごくショックだったことを今でもよく覚えています。

◆発作について

発作は中学2年のときを最後に今はありませんが、小さいときは多かったと思います。僕の場合は視線が3-4秒止まってその間、意識がないように見える発作ですが、自分ではあまり自覚がなく、人から「今、あったよ」と言われないとわからない感じでした。
また、物が二重に見えることは小学校のころ結構あって、後から考えるとそれはもしかしたら薬の副作用だったのかもしれません。それも発作と思って学校を休んだりしたこともありました。

◆学校生活について

中高一環の男子校に入りました。学校には勉強に行くというより、友だちと遊びに行くという感じで楽しい毎日を過ごしていました。そんな中、今までの脳の検査の他に腎臓の検査も始まり、検査の日は1日学校を休まなければならず、それが嫌でした。病気について特にまわりから何か言われることはなく過ごしていました。高校に入る頃には他の病気の友だちもいたので、色々と話し共感できるようになり、むしろわかり合える関係にもなったりした気がします。

◆他の患者との出会い

中学生くらいのあるとき、母に連れられて患者会に出掛けました。
その時は、定期的に通院したり、薬を飲んでいることの他は、何不自由なく楽しく過ごしていました。特に病気のことも意識することなく過ごしていて、病名こそ知っていてもとくに自分で調べることもなかったのですが、その患者会には車椅子に乗っている子がいたり、いろいろな症状がある人たちの話を聞く中で、自分の病気についての症状の多様さに驚くとともに、病気の重さを初めて認識しました。

◆大学へ進学、一人暮らしを始める

ただ漠然と勉強するより何か目的があった方が良いと思い、母に勧められたST(言語聴覚士)の資格が取れる学科に進学しました。父が、時には泊まり込みをしたり、忙しいながらも仕事が好きで楽しんでいる姿を目の当たりにしてきたこともあり、将来は自分が楽しく取り組めることをしたいと思っています。大学卒業後はSTだけに仕事を絞るのではなく、自分のいろいろな可能性を活かして、多くのことを経験していきながら進路を決めていきます。
進学にあたって一人暮らしすることになり、母は服薬の心配はしていましたが、両親ともにとくに反対もなく、背中を押してくれました。

◆母に対して

父が家に居ることが少なかったので、母は父の分までしっかりしなくちゃと頑張っていたと思います。僕の病気のことでも心配も大きかったのではないかと思います。そんな中でも、自分の考えをちゃんと聴いてくれる母だったので、僕も自分の意見をしっかり持つことができるようになったんだと思います。
もちろん、中学校のころは反抗したりしていたころもありましたが、今は一人暮らしを始めて、程よい距離感の中で、改めて母のありがたみを感じ、いろいろと話せるようになったなと思っています。
また、母がずっと患者家族会に関わってくれているのですが、情報を入手したり、いろいろなことを紹介してくれたり、ずっと自分のことを考えて、見ててくれるんだなと感謝しています。

◆病気について

病気がなかったほうがよかったと、小学校、中学校のころは思うこともあったし、病気のために大変な思いをしたこともありました。でも、それがあったからこそ得られたこともあったと思うし、全部が全部悪いことではなかったと思います。
確かにマイナスも多かったと思うけど、プラスがなかったわけではなく、あらゆる経験でプラスになることとして、自分の成長の過程として受け止めています。