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結節性硬化症の情報サイト

「人とのつながりが、とても大切だと感じます」

  • Sさん/52歳で診断され、現在60歳(2022年11月時点)
  • ご本人へのインタビュー

◆病気であることを全く知らずに過ごしていました

私は、3姉妹の次女として育ちました。活発な2人の姉妹と比べると大人しい性格で、転校が多い環境ではクラスにうまく馴染めなかった時期もありましたが、高校の時には今でも連絡を取っているかけがえのない友だちにも巡り合いました。その後、就職・結婚し子ども2人の育児は大変でしたが、新しい発見もたくさんあり、子育ての手が離れてからは昔からやりたかった仕事を探してパートで働くなど、日々を楽しんで暮らしていました。

◆毎年受けている検診で、突然再検査に

それまでも健康診断は毎年いつも同じところで受けており、52歳の時の健診のエコーで、腎臓に異変を指摘されました。再検査は早いほうがよいということで、次の日には紹介された総合病院の泌尿器科に行きました。尿管結石疑いということで、その時はMRIの予約とCT検査だけして帰りました。
数日経ち、CTの結果を見た別の医師から、「急いで病院にきてほしい」と電話があり、私は「MRIの予約が早まったのかな」と言うくらいの気持ちで病院に行きました。しかし、CTには後腹膜や縦隔、頸部のリンパ節の部分にも腫瘍のようなものが映っており、医師からは悪性腫瘍の転移の疑いがあると言われ、がんセンターへ紹介になりました。

◆自分の病気がわからない辛い期間

その日はどうやって帰ったのかも覚えていないほど、とてもショックでした。
今振り返ると、がんセンター受診までの2週間が、今までの人生で最も辛かった期間となりました。
家に一人でいると、「子どもの成人した姿を目にする事ができないのかもしれない」など、自分が居ない生活を想像してしまい、ただただ辛さだけがありました。インターネットで調べてみても、良いことは一つも出てきません。何もできず、何も食べられず、ただ寝ていることしかできませんでした。
心の中には健診を毎年受けているのに、どうして?という思いが巡っていました。
もうひとつ辛かったのが、再検査の結果を誰にも言えなかったことです。姉妹には健診後、尿管結石らしいとの指摘を受けた事までは伝えていましたが、その先はどうしても伝える事ができませんでした。夫にも、子どもにも、母にも、姉妹にも、友達にも言うことが出来ませんでした。

がんセンターに一人で向かう道の途中では、不安で足が止まってしまいました。その時は、再検査が決まった私のために友人が送ってくれた応援の動画を見て、「大丈夫、大丈夫」と自分に言い聞かせ、やっと病院に行くことができました。
がんセンターの先生に、「これからしっかりと検査をしていこう」と言われたときには、「検査で良くない結果が出るかもしれないけれど、ようやく自分のことをちゃんと診てくれる。」と、とても救われた気持ちになりました。同時に、認定看護師さんがついてくれ、まだ誰にも話せていないということを伝えると、「一緒に伝えていきましょう。」と言ってもらうことができました。
入院時に、姉と看護師さんと3人で話す事ができ、自分の気持ちもうまく伝えることができました。
姉は、実は以前から私の様子がおかしい事に気がついていて、私が自分の中で整理してから言ってくるだろうと待っていたようでした。「ずっと待っているのは辛かった」と、涙ながらに話してくれ、改めて支えてくれる人の大切さを実感しました。当初は人に伝えることもできない程混乱していましたが、看護師さんのおかげで姉にようやく伝えることができとても感謝しています。

◆確定診断までの長い期間

その後検査入院をし、腎臓以外にも肺にも病変が多くありましたが、がんとは別のものだということがわかり、「良かった」と安堵しました。ただ医師からは「腫瘍がいくつかの部位に複数あるので、悪性と判断します」とのことで、そこから腫瘍を小さくするお薬の服用が始まりました。
その後、病院で色々と検査を進める中で「結節性硬化症の可能性があるかもしれない」ということが分かりました。可能性は低いが念のためということで、眼科、皮膚科等でも検査をしてもらいましたが、その時は明確な診断はつきませんでした。
経過観察していた頃、先生から、「悪性腫瘍は見つからず、やはり結節性硬化症の可能性もあるかもしれないので、専門の先生に診てもらってください。」と、専門医を紹介していただきました。
その後、専門医の先生から結節性硬化症の確定診断がされ、結節性硬化症は完治が難しい病気であり、現状を維持していく治療となること、また遺伝性の変異が原因であることを聞きました。
診断に至るまでの6ヶ月間、自分が何の病気なのかとずっと不安でした。更に診断されたあとには「治らない病気へのショック」そして「遺伝子疾患」とのことで真っ先に子どもたちのことが心配になりました。

◆同じ疾患の方々と繋がることができて救われました

希少疾患ということから、なかなか同じ病気の方と出会えませんでしたが、ある時患者の親の会とつながることができ、患者本人として受け入れていただきすぐに会合に参加させていただくことができました。
そこでは医師の方も参加されていて、色々とコミュニケーションをさせていただく中で、情報の面でも気持ちの面でも助けていただきました。
そんな中、患者さんのお母様方から、「当事者としての話も聞かせてほしい。」と言われ、私で良いのかわかと不安もありながら、様々な経験談をお話ししたことがありました。お母様方からは、患者であるお子さんは、自分で意思表示ができない場合もあり、私の観点からの話がとても参考になったと伺いました。私にとっては普通のことだったのですが、日々の患者としての経験が他の人の役に立つことが出来ると感じました。
今まで決して活発ではなく、特に人前で話すなどもしたことがなかった自分が、自身の経験を話すことで役に立てることがあると、この病気の経験を通して気付かされました。

◆人とのつながりを大切に、乗り越えて行けたらと思います

自分では、この病気を受け入れているつもりです。でも毎年、秋の時期になると当時の辛かったことを思い出して気分が沈んでしまいます。治らない病気に対しての不安もあるし、体調が悪くいろいろな制限が出てくるときもあります。なぜ治らないのかと納得できない気持ちになり、受け入れているつもりでも振り出しに戻ってしまうこともあります。ただ私は、今思うと本当に良いタイミングで、多くの人に助けられて来たと思います。
友達に、姉妹に、検査をしてくれた医師に、一緒に説明してくれた看護師さんに、信頼できる今の主治医に、それはかけがえのないものでとても感謝しています。

これからは同じ悩みを持つ患者同士でもつながっていきたいと思います。同じ治療をする仲間として、悩みや不安の共有をできたらと思いますし、きっとつながっているという実感があるだけで心の支えになることもあるのではと思います。この先そういった方々とも出会い、一緒に未来の不安を乗り越えられればと思います。