「役に立てることを、少しずつできれば」
- Fさん/49歳で診断され、現在57歳(2022年11月時点)
- ご本人へのインタビュー
◆きっかけは職場の付加健診
結節性硬化症の診断がつく前は特に気になる症状もなく、幼少期や学生時代は活発に友人と遊び、就職・結婚、その後息子と娘にも恵まれました。
子どもたちが大きくなり手が離れ、49歳の時に勤め先の検診(付加健診)で、超音波検査をしたところ腎臓に異常が見られ再検査になりました。
精密検査に行った病院で腎臓と肺に異常が見られ、結節性硬化症の疑いがあると伝えられました。その病院では治療ができず、他の病院を紹介してもらうことになりました。
しかし、紹介先の病院では『この病気はまれな病気で、あなたは結節性硬化症ではないと思う。』と言われてしまいました。
病院からの帰り道、私は得体のしれない不安を感じ、途方に暮れてしまいました。
結節性硬化症ではないと言われたので、『じゃあもうそれでいいかな。』とも思ったのですが、やはりしっかりと検査をしてもらおうと、最初に診ていただいた先生に電話で状況を説明することにしました。その先生が熱心に専門の先生を探してくださり、結節性硬化症の専門医のいる病院を紹介してくれることになりました。
そして今の主治医でもある先生を受診し検査の結果、結節性硬化症だと診断されました。不思議なもので、その時はとてもホッとしたことを覚えています。
◆服薬治療と定期検査
結節性硬化症の診断時には腎AMLが多数あり、専門医の先生のもとで服薬による治療が始まりました。はじめは1-3ヶ月の間隔で診察していただいていましたが、幸いお薬の服用によって腎AMLは安定し、肺のLAMは小さいものでしたので、最近は半年に一度の診察で済んでいます。
今は仕事もでき、趣味なども楽しみながら生活ができています。
ただ、肺のLAMに関しては、現在専門の呼吸器の先生に診てもらうことができておらず、CTでは検査をしているものの、コロナ禍の影響で呼吸器の検査が十分にはできていません。
◆情報不足による不安・悩み
この病気が診断された当時は子どもたちも独立しており、一人の時間も多く気ままな生活に満足していたのですが、結節性硬化症はまれな病気であるためどこを調べても情報が少なく、この先自分がどうなっていくんだろうと、とても心細く不安でした。そのため、すでに結婚して子どももがいる娘に病気のことを説明し、同居を依頼しました。娘家族が快く受け入れてくれた時にはとてもホッとしたことを覚えています。
また、自分の心配と同時に、この疾患が遺伝子の変異によるものということがわかり、息子や娘、孫たちのことを心配しました。自分の親にも言うべきかどうか、きっと言ったら母は自分のせいだと思ってしまうだろうとも悩みましたが、母の性格を考え、知らせなかったほうがきっと母は嫌だろうと伝えることにしました。伝えた時に母は「ごめんね」と申し訳無さそうでしたが、私は「今ここにいれるだけでも幸せで、生んでくれて感謝しているよ。」と伝えました。
それからは、病院帰りには母の家に寄って「今日も大丈夫だったよ」と伝えることが常になりました。電話の回数も多くなり、これをきっかけに母との距離がより近くなった気がします。
◆私にできることをしていきたい
現在は、結節性硬化症学会の活動に参加をしています。結節性硬化症学会はお医者さん以外にも患者本人や家族が多く参加し、様々な立場の方とお話をしたり、情報を沢山いただけて勉強になります。結節性硬化症について理解しあえる友人も作ることができました。
学会活動への参加は、人とのつながりができて安心があるだけでなく、様々な症状の方が多様に悩みを抱えていていることを知ることで、自身にとって気付きも多くあります。
振り返ると、自分が結節性硬化症と診断された当時は本当に情報がなく不安でした。以前に比べれば情報も多くなってきましたが、まだまだ足りない部分があると思います。私自身が出来ることとして、たとえば生活の工夫など自身の経験を基に役に立つ情報を患者さんやそのご家族に伝えていきたいと思っています。